いや~、へこみましたよ。
さる6/25に渋谷Visionで行われた故D.Lさんの追悼企画。
仕事が終わってから向かったんですが、着いた23時ごろには長蛇の列であっという間に入場規制が!
裏技使おうとあわてて関係者に連絡とってみたものの皆さまつかまらず。
結局入場叶わず渋々帰宅・・・・・・でした。
なんか、さんぴんに行けなかったあの日を思い出しましたね。
当時僕はダンサーとして某ラップグループの初ライブの前座を務めるべく別の場所にいました。
なんでまたその日に初ライブをあてたのかいまだ謎ですが、とにかくさんぴんには行けなかったんです。
行った友人たちから後日聞いて味わった苦々しいような羨ましいような気持ちを、会場に入れた人たちがアップした動画や写真を眺めながら思い出してました。
もの凄いメンツが顔を揃えてましたけど、Buddha含め特定のグループのライブがみたかったわけじゃないんですよね。
なんつーか、その場にいたかったなと。
大切な友人を迎えにも行けず、送りもしなかったような、そんな不甲斐なさばかりが残ります。
色んな思い出がありますが、昔Organ BarでMuroさんとやってたパーティーでのDJ姿が忘れられないですね。
間近で彼を見たのはあれが初めて。
Super Disco Breaksってイベント名になる前で、人もまばらなあの小バコの暗がりの中、黙々と漆黒Breaksをスピンしてました。
当時僕はハタチそこそこで、彼が20代後半だったと思うんですが、他の誰からも感じたことのない特別なオーラを持った人でした。
Diggin’ Iceが出た後だったから97年あたりだったと思います。
少なくとも99年あたりまではほとんど毎回通ったんじゃないかな。
追悼ライブに集まった出演者リストをみて、自分はやっぱりこの人たちに育てられたなとあらためて思いました。
彼らにしたって、ヒップホップカルチャーに魅了され、好きでやってただけなんでしょうけど、一歩先を行くセンパイ方の背中ってやっぱり大きい。
会場やあの長蛇の列に居た元若者たちも同じ思いだったんじゃないでしょうか。
そしてこの文化はまだまだ続くわけです。
自分もやることやらんとな、とあらためて思った次第。
それがD.Lさんへの追悼になるなんて思ってませんが、天運我に有りと思って今日を生きようと心に誓ったのでありました。